松島屋ないまぜ帖
2021.06.01
青鞜社
平塚らいてう
と書いて
平塚らいちょうと読むのが
不思議だった。
「てふてふ」
が「ちょうちょう」だから
「らいてう」は
「らいてふ」?ん?
細かいところが気になる性分(苦笑)。
それはさておき
平塚らいてうは
明治27年
本駒込2丁目に住んでいたと
文京区の記録にある。
当時は駒込曙町。
この案内板が有難い。
散歩ついでに
いろんな発見があるから面白い。
区役所の皆さん
お世話になってます。
感謝です。
話を戻そう。
平塚らいてうは
明治44年
文京区の千駄木5丁目
旧駒込林町の青鞜社で
女流文芸雑誌「青鞜」を発刊。
発刊の辞
「元始、女性は太陽であった」は
あまりにも有名。
団子坂にある案内板に
6月1日に青鞜社の表札があげられた
と書かれていた。
きっと、強い信念のもと
新たな時代を切り開こうとしていたに
違いない。
その青鞜社のすぐ近くにあったのが
森鴎外邸。
歌舞伎「ぢいさんばあさん」の
作者でもある森鴎外は
平塚らいてう達女流作家を
応援していたらしい。
森鴎外記念館の企画展の
コメントに出ていた。
「ぢいさんばあさん」の
るんの姿が
凛としていて、
平塚らいてうと重なる。